キャンプ旅に行こう 2006年GW・沖縄ツーリングの旅日記です。
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2006年GW 沖縄の旅

5月7日

今日は朝から雨模様。帰る日でもあるし、遠出するつもりは最初から無かった。時間を気にしながら雨の中を走るのも何だし。

荷物は3時頃まで宿に置いたままにしておくが、ベッドは空けておかねばならないので、荷物をまとめて所定の場所に置き、徒歩で出発。今日は昼過ぎまでスカブはお休み。

国道58号に出る手前でタクシーを捕まえ、首里城公園に向かう。

金城町の石畳道

金城町の石畳道は玉陵の南に位置し、かつては南部へ向かう主要道路として位置づけられた道。

第二尚氏第3代国王・尚真(1477〜1526)の時代に真珠道(まだまみち)として作られ、全長22kmにも及ぶ道だったらしい。

しかし第二次大戦で米軍の攻撃によりほとんどが破壊され、死角になっていたここ金城町の280mほどがかろうじて残っている。

首里城直下からではなく赤マルソウ通りからであるが、とりあえず下っていってみる。琉球石灰岩でできた道は、雨が降っているせいかとても滑りやすい。しかも結構な急坂なので、足元に気をつけつつ慎重に足を運ぶ。

実はこの石畳の道は、南部への要路としての役割だけではなく、生活用水の確保に多大な貢献をした道でもある。石畳に落ちた雨水は特殊構造の土床によりろ過されて、「フースカ」と呼ばれる用水溝に注がれ、任意の村井(ムラガー、共同井戸のこと)へ誘導される構造になっていた。

つまりこの道は要路でありながら、同時に上水道施設なのである。日本の道100選に選ばれたのも、景観もさることながら画期的とも言えるこの道の構造から来るものだろう。

ちなみにこの特殊構造は現在の技術を持ってしても復元が難しく、戦争によって破壊された区間は復元ができなかった為に普通の道になってしまっている。

下り始めて程なく、金城町大アカギの看板があったので左の小路へ。まるで他人の家の敷地の中のような雰囲気の道を歩いていくと、ちょっとした広場がある。この辺りが大アカギの群生地。戦前はそれほど珍しくなかった大アカギであるが、戦争でほとんど消失し、かろうじて数本が残っている。

広場の片隅に内金城御嶽があり、その右側から奥に入っていったところの大アカギには自然に出来た祠がある。

脇の看板には「この場所には毎年旧暦6月15日に神が降りられ、願い事を聞きあげられているとの言い伝えがある」と書かれている。

今日が旧暦で何月何日なのかは分からなかったが、とりあえず願い事なぞ・・・。中身は、ナイショ。

本道(?)に戻り、更に下ると右手に「金城村屋」という建物があった。ちょうど管理をしているおじさんが雨戸を開けているところで、このおじさんとしばし語らうが、いろいろ興味深い話を聞かせていただいた。

ここは地域の公民館的な役割を果たすところだけど、「公民館」として必要な機能(プロジェクターなど)が無いので、公民館という名前が使えず村屋という名前になっているとか、昔ここは琉球国王も休憩する場所であったとか。今は地域の行事の時以外は、観光客が休憩できるようにしているのだそう。

また、この地域は玉城周辺と同じで勝手に工事等で景観を変えることが県条例で禁止されている区域。なので、石畳の石一個を補修するにも県の許可が必要なのだそうだ。それによって景観が保護される代わりに、生活者の立場としては大変な事も多々あるのだそうだ。何しろ下水道も無い・・・と言うより設置できないのだから。つまり、水洗トイレには出来ない、と言う事。だから、この地域は汲み取り式トイレが大部分なのだそうだ。

村屋だけは例外で水洗トイレになっている(観光客の為)が、これも勝手に排水できないので一時的に溜めておいて、定期的に回収するようになっているのだそう。水洗式汲み取りトイレと言ったところか。

おじさんは、自分は昔からここで生活しているけど、長野県と北海道にはいつか行ってみたいとか。その理由が、「氷点下の気温を経験してみたいから」なのだそうだ。私が長野県から来たことを知ったおじさんは、冬はどんな様子だとかいろいろ私に聞き、冬は車のガラスに霜が凍りつくので、朝はしっかり暖機するとか、お湯をかけて霜を溶かすとか言うと、驚いた様子だった。

また、この辺りは水道管がむき出しで設置されているのだが、旭川から来た観光客がこれを見て驚いていたとか。そりゃそうだ(^_^;) 北海道はおろか長野県でもむき出しの水道管なんて冬は凍って使い物にならないからねぇ。凍ると破裂する確率が高いし。

村屋の横には、大きな泉がある。「金城大樋川(かねぐすくうふひーじゃー)」というもので、共同井戸として使われていたもの。

貯水池の奥には、二つの樋がある。かつては人々の喉を潤す大事な場所であったが、今では池にはある程度の水が溜まっているものの、樋の水は枯れてしまっている。

村屋のおじさんは、樋の水が枯れてしまった理由も私に説明してくれた。それは、首里城周辺の地面がアスファルトとコンクリートで固められてしまったからなのだという。

昔は首里城周辺に降った雨水が、地面に染み込んでこの樋から流れ出ていたのだそうだ。しかしコンクリート及びアスファルトで舗装されてしまった結果、首里城周辺の雨水は直接那覇港へ流れていってしまい、ここの泉が枯れてしまったのだそうだ。

観光客の都合を優先した結果がこれ。観光客の一人である私が言うのも何なんだけど、観光客優先の考え方が観光資源そのものを痛めつけ、削り取っていってしまっている例をここでも見る事になろうとは・・・。

その意味では久高島はまさに正反対だ。久高島の「観光客より島の行事を優先させる」というその姿勢のおかげで、素朴な離島のまま保たれている。

個人的な考えだけど、観光客をだれでも無制限に受け入れるという考え方は、少しづつでも変えていく必要があるのかもしれない。尾瀬のように本当に行きたい人だけが行くようにするというか。もちろん場所にもよるんだろうけど。

閑話休題。

おじさんは程なく自宅に戻り、私はその後も少し休憩してから再び坂を下り始める。坂の下のほうは、ここに住む人の車も入ってくるようで、現代的な生活感が出てくる部分になる。

下りきった所に流れるのが安里川で、ここから先にもかつては石畳の道が続いていたのだが、前述した通り復元ができないために今は普通の道になっていました(左写真)。

その後、息を切らせながら来た道を戻る。急な坂を延々登り、赤マルソウ通りを過ぎて首里城公園へ戻る。この時点で服は汗でびっしょり濡れているし髪の毛も汗でべったり。しかも小雨が降る天気で湿度が目茶目茶高く、全然乾かない・・・。

首里城周辺を少し散歩し、タクシーで国際通りへと向かった。

国際通り

国際通りは、那覇で・・・いや、沖縄で一番の繁華街。終戦直後は焼け野原で闇市が立つ場所だったとの事だが、今ではその面影は無い。焼け野原から沖縄最大の繁華街に変貌した事から、「奇跡の一マイル」と呼ばれている。

小雨が降るあいにくの天気だが、とりあえず店先を冷やかしながらブラブラ。さすがにひっきりなしに車が行きかい、観光客と思しき歩行者も多くて賑やかだ。

商品が歩道にまで思いっきりはみ出し、みやげ物を売る店の前では呼び込みも多い。沖縄に来てから城や戦跡を巡っていたので、こういう雰囲気は久しぶりのような感じ。

Tシャツか何か買おうかな・・・と思ったが、今日は歩きだし荷物を増やすと写真を撮るときに邪魔になるのでやめておいた。

ふと歩道の隅を見ると、木と竹(?)で作られたバイクが。エンジンの形からしてハーレーがモデルのようだけど、なかなかいい感じ。さすがに風雨と排気ガスにさらされて痛んでいたけど、こういう置物もいいなぁ〜と感じたのでした。

もっと小さいのがお土産で売られていたら、買っていたかも(^_^;)

アーゲート街・牧志公設市場

雨が本降りになってくる中をしばらく歩くと、「むつみ橋」という交差点に出る。ここから南に伸びる歩行者専用道路はアーゲート街になっていて、この中に牧志公設市場がある。

アーゲート街の、特にむつみ橋交差点側は観光客向けの店が並び、特に賑やかだ。島人Tシャツを初めとしたお土産店、各種アクセサリーや化粧品、食料品店・・・まさにいろいろな店がチャンプルーされている。

人ごみの中を、またまた店先を冷やかしながら奥に向かって歩く。

すると、やがて「那覇市第一牧志公設市場」の看板が見えてくる。ここが那覇市民の胃袋を支える市場であり、食の観光スポットでもある。

とりあえず中に入る。市場というからには魚介類を初めとした生鮮食料品だけかと言えば、そうではない。普通のみやげ物を売っている店もあったりする。

とにかく中は活気があって、売る側と買う側が価格交渉(?)をしている姿があちこちで見られる。

その中でカメラを構える私は、店の人や他のお客さんの目にはさぞかし異様に映っていたでしょう(^_^;)

ここは二階が食堂街なっており、沖縄ならではの料理が食べられる・・・と言う事で、エスカレーターで登っていく。

するといきなり「お兄さん、こっちの席が空いているよ〜」といきなり店のあんちゃんによって席に誘導されてしまった(汗) まぁ最初から何か食べていくつもりだったからいいんだけど。それにしても、ここの店の人はすっかり観光客慣れしていますな(苦笑)

実はヤギ料理(ヤギ刺しとかヤギ汁とか)を食べてみたかった。けど、渡されたメニューや壁一面に張り出されているメニューを眺めても、無い。沖縄に来て以来、期間限定常連客(?)になっている居酒屋の主人の話だと、上等なヤギ料理は他に行かないと食べられない、と言う話を聞いていたけど、そもそもメニューに無いんじゃ仕方が無い。

と言うわけでソーキソバにしようかと思ったが、メシを食べたい心境だったので、ソーキ丼を注文。

で、出てきたのがこれ。「丼」だからてっきりどんぶりに入って出てくるのかと思ったら、お皿に乗っかって出てきました。

でも、味はなかなかでした(^_^) 肉もしっかり煮込まれていて柔らかく、野菜にも味が染み込んでいて、美味しく頂いたのでした。ご馳走様〜。

その後、再びアーゲート街に出て適当にぶらつく。

公設市場を過ぎると、一気に人が減った。歩行者の数は半分以下になり、その歩行者も観光客ではなく地元と思われる人がほとんど。荷物を運んで来るバイク(ホンダCD125が多し)も時々通る。

ちょっと路地に入ってみたりして本当に適当に歩いていたら、こんな所→に出てしまいました(汗)

地図上では婦人服を中心に売っているところのようなんだけど・・・。何というか、終戦直後そのままのような雰囲気のところ。もちろん観光客の姿は全くなし。客はおろか店の人もえらくのんびり世間話していたりするし。

この一帯の事は実は知っていたんだけど、突然目の前に現れるとさすがにびっくりしてしまいます(^_^;)

で、この後は元のアーゲート街に戻ろうと思ったんだけど・・・適当に歩いていたので、現在位置を見失ってしまいました(大汗) 早い話が迷子と言うやつで・・・。この歳になって迷子になるとは思ってもいなかった。それほど広くない区域と思ってナメていました・・・。

周辺の見通しなど全く無いのでどっちに進んでいいのか全く分からず、同じところを2・3回通ったりしながら公設市場まで戻ってきた時には、ヘロヘロになっていました・・・。でも、これ自体結構楽しんでいたりして。
公設市場を後にし、いったん宿に戻る。メットとカッパを装着し、スカブに跨りレンタルバイク店に向けて出発。もちろん返却の為だ。路面は雨で濡れている状態だったが、事前に聞いていたほど滑りやすいわけでもなく、結構安心して走れました。

宿に戻り、再びクソ重い荷物を持ってゆいレールに乗り、那覇空港へ。

空港内のコンビニでおにぎりを買って夕食とし、機中の人となる。名残惜しかったが、またいつか沖縄に再訪する事を決意しつつ沖縄を離れた。

その後

大雨が降る中部国際空港へは、定刻より約20分遅れて到着。悪天候の為に他の便も遅れが出ていた。

帰りは空港から地元まで、地元のタクシー会社が運行している直行バスに乗って変える予定になっていたのだが、ほとんどの便に遅れが出ている関係でバスも出発を遅らせるしかない状態。おかげで私も慌てる事無くバスに乗ることが出来ました。

バスの客は私を含めて5名。シートを倒してゆったり移動。

空港出発が30分以上遅くなった為に、帰宅した時には12時を回っている状態。6時間後には起きて無ければならないので、速攻で着替えて就寝。

あとがき

今回の沖縄の旅は沖縄自体が初めてで、レンタルバイやドミトリー形式の宿も初めて、と初めてづくしの旅でしたが、無事終わることが出来ました。

今回の旅の相棒、スカイウェイブ400です。スクーターでの長距離移動は初めてでしたが、なかなか快適な移動を提供してくれました。

いやぁ〜ギヤチェンジしなくてもいいってのが、これほど心身の負担を軽減するとは思っていませんでした。コーナーに入る前でもブレーキングに集中できるし、止まる時にクラッチを切らなくてもいいのも新鮮な気分でした。

もちろんシート下のトランクスペースも、カッパやカメラを収納したり、非っ常〜に重宝しました。

動力性能的にもロードスポーツ車を慌てさせるほどの加速力があり、小径タイヤながらコーナリングも想像以上に安定しているし、風防性能もまずまず。予想以上に楽しませてくれました。気になったのは、ハンドル切れ角が思ったより小さくて、Uターン時にちょっと慌てる事があった位でしょうか。

カウルが左右とも転倒によりガリガリに傷が入っていて、写真を見ると分かりますが左ステップボード下の部分が外れているとか、左右で違うミラーが付いているとか、Fブレーキレバーがかなり曲がっているとか、車体のあちこちにタッチアップペイントの補修跡がある(写真を見ればバレバレですが)とか、Fフェンダー後端の一部が吹っ飛んでいるとか、外観的には満身創痍に近い状態でしたが(^_^;)

それから、夕食は宿の近くの小さな居酒屋に毎晩行ってました。ここのご主人が話し好きな人で、オリオンビールと泡盛を飲みながら楽しいひと時を過ごしました。最後の夜に店を出る際には沖縄ならではのスナック菓子等のお土産も頂き、次回沖縄に来た時にも必ず来ようと思いました。
今回はドミトリー形式の宿だったのですが、正直言って私には全く合いませんでした。

利用した宿の詳細は省略しますが、ベッド利用(男女別相部屋)で一泊1500円・談話室で雑魚寝で一泊800円と格安なのですが、ここに長期連泊・・・と言うより、住んでいる人が複数人いるのです。その人達は働きながらここにいるのですが、まずは話が全く合わない事。

これは他の宿泊客を含めてライダーがほとんど皆無という状態なので、当然といえば当然なのですが。朝早めに出発するというスタイルすら理解されませんでした。まぁ無理して理解してもらうつもりもありませんでしたが。

今回の旅では、バックパッカーの人が一番話が合いましたね。もちろんそういった人が毎晩いるはずも無く。あと、外人客がとても多いのもこの手の宿の特徴です。

そして住んでいる人の中には夜の仕事(分かりますよね?)をしている人もいて、夜の2時とか3時に帰ってくる場合がほとんど(当然門限は無しで入り口は無施錠)。そんな状態なので、朝7時過ぎでも部屋の中は真っ暗で、毎朝の荷物の準備に懐中電灯が必要でした。寝ている人に気を使いつつ・・・。

で、夜12時過ぎには自炊用キッチンすら使用禁止という決まりになっているはずなのに、12時過ぎまですぐ横の談話室で大騒ぎしていたりとか(当然騒ぎはベッドルームに筒抜けです)。私のベッドの下にいた人がいびきが凄い人だったという事もあり、その時は結局朝まで寝られませんでしたし、熟睡できた日はほとんどありませんでした。期間の割に疲労が大きかったのも、この辺りから来るのかも。

正直言って、「これなら少しくらい暑くてもキャンプのほうがマシだ!」と思ってしまったくらいです。この手の宿に慣れている人なら気にならないんでしょうけど、私にはどうも・・・。北海道の旅人宿ともまた違う雰囲気です。

次に沖縄に来る時は、普通のホテルかキャンプかのどっちかになると思います。その意味では今回は良い勉強になったと思うことにしています。もちろん他の同様の宿はまた違うとは思うのですが、今回の宿の印象が強烈だったので、しばらくはこの形式の宿を使う気にならない、というのが私の正直な心境です。

今後沖縄の旅を考えている人の参考になれば・・・。

参考資料

書籍


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