キャンプ旅に行こう 2007年秋の南紀・奈良ドライブ旅日記です。
ホーム > 旅日記 > 2007年南紀・奈良

2007年秋 南紀・奈良の旅

10月6日

久しぶりの南紀。以前は某旅コミ誌の宴会に参加する為に年二回行っていたのだが、ここ数年はトンとご無沙汰。

まぁ何にしても南紀は遠い。特に紀伊半島東側は高速が無いので、R42を走っていく他は無く距離の割に時間がかかる。とりあえず名神大垣ICで一旦高速を降り、東名阪桑名東ICから再び高速に入って南へ向かう。

高速を降りたのは紀伊自動車道大宮大台IC。その先も工事がされているが、今後は南紀方面に行くのも少しは楽になるのかな?

R42を淡々と南へ向かう。南に行くに従い、ザックを背負った旅人を頻繁に見かけるようになってくる。この人達の目的は熊野古道なんだろうなぁ・・・と思いつつ、デミオを南に向かって走らせる。

以前この道を通っていた頃は、こういった人達を見かける事は全く無かった。世界遺産に認定され、メディアに露出する機会が増えた為であろう。その意味では、知床と同じと言える。訪れる人が増えたのは良いけれど、落書き等のネガな面が出てきているのもそう。

観光の目玉にしたいのは良く分かるけど、必ず出てくるネガな面をどう対処するのかも大事な事のように思える。

道の駅 海山

道の駅・海山は、熊野古道・馬越峠の入り口に当たる事から、古道目当ての車が多数利用する。

中には観光バスで古道巡りをしている人々もおり、賑わっている。

熊野古道は熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野早玉大社)へ向かう「くまのみち」と呼ばれた街道で、馬越峠(まごせとうげ)はその一部にあたる。ちなみに馬越峠は、大正6年までは県道だったそうだ(現地案内板より)。

麓から峠までは敷石で完全に舗装されていて、今でも昔の面影をほぼ完全に残していると言う。

関連サイトで写真を見ると、雰囲気満点の道。こうして見ると是非歩いてみたいと思ってしまうのだが・・・。世界遺産になったし、観光シーズンは人も一杯で雰囲気を味わうどころじゃないんだろうなぁ(-_-;)

調べていて知ったんだけど、峠とは国道の反対方面にも発掘された古道があるのだとか。今脚光を浴びている古道よりも古い時代のものだとか。こっちにもちょっと興味が沸いてきたりして。

丸山千枚田

丸山千枚田は、三重県熊野市(旧紀和町)の山中にある。私は県道780線経由で行ったのだが、車のすれ違いが困難なくらい狭い道を登っていく羽目になった。

その狭い道の脇に千枚田のほぼ全体が見渡せる展望台・・・と言うか展望場所があり、右写真はそこから撮ったもの。

この丸山千枚田は日本で最大級の千枚田で、棚田100選にも選ばれている。文献に初めて出てくるのは1601年とか。

400年前には2200枚あった棚田も、高齢化で一時は530枚まで減少。しかし丸山千枚田条例の制定や住民の努力により、現在は1340枚あるとの事(熊野市ホームページより)。

いつ頃造成されたのかは定かではないとの事だが、この山中にこれだけの規模の棚田を造成するのはかなり苦労したであろう。写真では良く分からないけど、あぜの部分は石積みになっているので、なおさらだろう。米作り自体も平地より重労働であっただろう。

既に稲が刈り取られた後なのだが、田植えの頃とか刈り取る直前の頃だったらもっと良い景観だったかもしれない。時期がちょっと悪かったかな。

田平子峠 処刑場跡

丸山千枚田からR311に戻る途中、田平子峠という所で処刑場跡という看板があったので、ちょっと立ち寄ってみた。

ここは、豊臣秀吉が行った太閤検地に反対した人々が起こした天正一揆の、首謀者を初めとした参加者実に363人を処刑した場所なのだとか。

石碑によると、凶作と飢饉で苦しんでいた人々にとって止むに止まれぬ戦いだった・・・との事。ちなみに近くにある赤木城は、この一揆を抑えるために築城された。

この田平子峠に道路を通す時も、大量の人骨が出たという記述がここを紹介するWebページに掲載されている。また、「行ったらもどらぬ赤木の城へ 見捨てどころは田平子じゃ」という言葉(歌)も語り継がれている事からも、一揆参加者に対する苛烈な仕打ちが行われた事が分かる。

太閤検地は当時の国家政策上で必要な事だったのであろう。しかし住民にとっては生死に関わる事であったことも想像できる。どっちが正しかったのか等と白黒つけるのは400年以上も経った現在ではあまり意味が無い事なのかもしれないが。

しかし結果的に犠牲になったのは当時の農民たちであったわけで、犠牲者の無念さと当時の歴史を知る上でも、こうした供養塔は必要なものであろう。

鉱山資料館&足湯

R311に出て少し西に走った所に鉱山資料館がある。この鉱山は古くから銅が産出されており、奈良時代にも東大寺建立の際に大仏を造るために多量の銅が献上されたとか。

しかし私の主目的は、資料館と言うよりは併設されている足湯。やっぱり無料という言葉には弱いです。はい(ちなみに資料館は入館料500円です)。

先客は年配の3人組のみ。靴と靴下をとっとと脱ぎ捨て、足を湯船にちゃぽんと漬ける。湯は熱くも無くぬるくも無く、適温。

成分分析表によると、泉質は低張性アルカリ高温泉で泉温は44.6℃、湧出量は毎分320リットル、PH9.0でラドン含有。


足湯なのでオーバーフローはしていないが規模的に循環させるのは費用面でアレなので、掛け流しっぽい。湯の投入部は四角い洗面台のようになっており、「手湯」もできる。

ちなみに左写真の奥のほうはお年より専用席で、テーブルが据え付けられており座椅子も置かれている。こういった心遣いもなかなか良いもの。

足がふやけるまでしっかり浸かりながら、しばしのんびり。
足湯の横には、かつて鉱山で使われていたトロッコ列車が展示されている。「にわか鉄ヲタ」となってじっくり見て回った。

右写真は作業員を乗せていたトロッコと牽引用の電気機関車。これがまた・・・小さいんですわ。まぁ坑道を移動する事を考えたら当たり前と言えば当たり前なんだけど。

ちなみに写真は立ち位置で撮ったもの。作業員が乗るトロッコの車高は私の身長と同じ位か、むしろ低いのであります(^_^;)

左写真はトロッコの中。左下にも席があるので、ぱっと見は6〜8人くらい乗れそうに見えます。

しかし実際は向かい合っている席に座ると、反対側の席に膝が届きそうなくらい狭いのです(汗)。これって私くらいの体格の人間が乗ると、せいぜい4人しか座れないんだけど・・・。もちろん、車内へは思いっきり屈まないと入る事ができません。

他にも(おそらく)蓄電池式機関車とか軌道自転車が展示されておりました。

潮岬キャンプ場へ

今日のキャンプ地はどうしようか悩んだ末、潮岬まで一気に走ってしまう事に決める。・・・んが、R168に出るまでが大変だった。

普通車の擦れ違いもままならない道を、道幅を目一杯使ってダンプが通るのだ(-_-;)

ちょっと広い所でドアミラーを畳んで車をコンクリの壁まで5cmも無いくらいまで寄せて、かろうじて擦れ違う事数回。マジで泣きが入りそうになる位の酷道だった。バイクでも走りたくないぞ・・・。

そんなこんなで幾多の苦難を乗り越えて、ようやくR168経由でR42に復帰。後は潮岬まで一気に移動するだけだ。

潮岬キャンプ場は昔一度利用しただけなのだが、設備は必要十分だしサイトが広いので、テントを張れない事は無いだろう・・・と予測したのだが、正解でした。前回はバイクを路肩に止めてキャンプしたのだが、今回は車なのでちゃんと駐車場に入れ、適当に場所を見繕ってテント設営。

少々風が強いが、特に寒くも無く快適。

買出しは串本市街地に入る直線にあるAコープで。酒類販売コーナーにはサッポロクラシックもあり、当然買い物かごに入れる。あとは出来合いの惣菜を購入。

サッポロクラシック350cc缶を一缶ほぼ一気飲みした後に夕食。今回も利用者は結構いたが騒がしくは無く、快適なキャンプでした。利用者の割合はライダーとファミリーが半々くらい。

しっかし・・同じコールマンのツーリングテントが私を含めて4張りあるってのはなぁ(^_^;)

[ 10/6 | 10/7 ]

リンク

ホーム
旅日記TOP

コンテンツ内リンク

10/6
10/7





▲ページ先頭に戻る